アンドレアソン事件2

目次

第1章 目に見えない客

第2章 パンドラの箱を開ける

第3章 光の中の人々

第4章 エイリアンに選ばれる

第5章 トラップロックでのアブダクション

第6章 森の中の生き物

第7章 誘拐 

第8章 時の博物館

第9章 大きなドア

第10章 インプラント

第11章 クロッカー池に戻る

第12章 UFOレポートにおけるサイキックな要素

第13章 不可解なヘリコプターとMIB

第14章 一体、何が起こっているのか?

第15章 神聖なタイプの接近遭遇?

第16章 ベティ独自の信条

付録

精選文献

索引

第1章 目に見えない客

1979年5月の夕方だった。

巨大な旅客機が着陸態勢に入るために傾きを変えると、機内の窓からボストンの地平線が視界に飛び込んできた。

眼下には、科学技術や文化の国家的中心地が広がっていた。

この都市では、M.I.T.やハーバードといった世界的に有名な機関で、世界最高の頭脳の持ち主が教えたり学んだりしている。

また、市外にあるエレクトロニクス渓谷と呼ばれる工業地帯には、高度のコンピューター、武器、宇宙システムの研究開発に携わる企業が数多くある。

しかし、同じ地球のどこか別のところでは、最も原始的な文明を見ることができる。

宇宙からの訪問者は、石器時代のハンターと宇宙飛行士が同じ世界で一緒に住んでいることに、はたして驚くだろうか?

いや、おそらく私たちよりはるかに進化した頭脳は、その違いにさえ気づかないだろう!

飛行機の着陸装置がドンと地面に接触した衝撃で、私の哲学的な空想が台無しになった。

すばやく過ぎ去る滑走路を見ながら、ターミナルで私を待っている妻のことを考えた。

私はちょうど『アンドレアソン事件』のプロモーションのための3週間の全国ツアーから戻ったところだった。

それはUFOに乗った女性のアブダクションを徹底的に調査した記録である。

1967年1月25日の夜、ベティ・アンドレアソンはマサチューセッツ州サウス・アシュバーナムのキッチンにいた。

彼女の7人の子供たち、母親、父親はリビングにいた。

ベティの夫は自動車事故で入院中だった。

午後6時35分頃、突然家のライトが一瞬点滅した。

すると、キッチンの窓から赤みがかったオレンジ色の光が脈打つように差し込んできた。

ベティは怯える子供たちをなだめ、父親は急いでキッチンの窓から外を見た。

奇妙な形をした小さな生き物の集団が、飛び跳ねるような動きで近づいてくるのが見えた。

小さな人間に似た生き物が5体、木製のドアを真っすぐ通り抜けて家に入ってきた!

ベティの家族はすぐに仮死状態になった。

ある生き物が父親のところに行った。

他の4人のリーダーはベティとテレパシーで交信した。

リーダーの身長は150cmほどだった。

他は約120cmほどだった。

全員が大きな洋ナシ型の頭、猫のように大きな包み込むような目、小さな耳と鼻をしていた。

彼らの口は動かない切れ目で、傷跡に似ていた。

それぞれがサム・ブラウンタイプのベルトで飾られた青いつなぎのユニフォームを着ていた。

袖には鳥のバッジが付いていた。

彼らの指は3本だった。

(その後、宇宙船に乗ると、彼らはグローブを着用した。)

足にはブーツのようなものを履いていた。

歩くというよりは浮いていた。

ベティは初め怖かったが、すぐに強い友情を感じて落ち着いた。

家族は大丈夫かと心配していると、生き物たちは11歳の娘のベッキーのこの不思議な無意識状態をいったん解いて、大丈夫であることを約束した。

それからベティは外に連れ出され、裏庭に傾斜した丘の中腹で静止している小さな宇宙船に乗せられた。

乗り物の直径は約6mだった。

それは2つの円盤のようで、一方がもう一方の円盤の上で逆さまになっていて、てっぺんに小さな構造物があった。

小型宇宙船は加速し、より大きな母船と合体したみたいで、ベティはそこで不思議な装置の影響を受け、身体検査を受けた。

その後、彼女は宇宙人のところに連れて行かれ、奇妙な実習を受けた。

その結果、辛かったがうっとりとした宗教的体験を受けることになった。

その日の夜10時40分、ベティは彼女を連れて行った2人の宇宙人によって家に帰された。

家に帰ると、彼女の家族はまだ仮死状態だった。

彼女が留守の間、監視するために1人の生き物が残っていた。

その後、まだ何らかのマインドコントロール下にある家族をベッドに寝かせ、宇宙人は去って行った。

宇宙人は何度かベティに、あることが彼女の心の中に閉じ込められていると告げた。

彼女は指定された時間まで彼らとUFO体験を忘れるように指示された。

彼女が意識して覚えていたのは、その奇妙な遭遇のほんの一部だけだった。停電、窓から差し込む色のついた光、家に入って来る宇宙人。

敬けんなキリスト教徒であるベティはこの生き物を神聖なもの、または天使のようなものと解釈した。

UFOの話題を彼女はほとんど知らなかった。

彼女の学歴はわずか10年で、基本的には家族、教会、地域の社会活動に関心があった。

彼女は自分の体験がUFOとの遭遇であった可能性を考えたのは、ずっと後になってからだ。

1975年、ベティはUFO研究家のJ.アレン・ハイネック博士が一般から個人的なUFO体験を募集しているという地元紙の記事に返事を書いた。

しかし、ベティの手紙にはわずかな情報しか書かれていなかったので、1977年1月に私たちが調査するまでその手紙は保管されたまま忘れ去られていた。

私たちの調査チームは、太陽物理学者、電子工学エンジニア、航空宇宙エンジニア、電気通信スペシャリスト、そして私で構成されていた。

私たちはまた、プロの催眠術師と精神科で訓練を受けた医師を雇った。

12ヶ月にわたる調査の間、私たちは広範囲にわたる身辺調査、2回のうそ発見器テスト、精神科医との面談、14回におよぶ退行催眠の会合を行った。

催眠状態でベティと彼女の娘は矛盾のない詳細なUFO体験を思い出し、生理的な反応も本物だった。

全3巻528ページの報告書は、目撃者は信頼できるまともな人物であり、本当にその体験が起こったと心から信じていると結論づけた。

1977年の秋、ベティと2人の娘と彼女の母親はマサチューセッツ州からフロリダ州に移住した。

そして、私たちの調査の第1段階は実質的に行き詰った。

私は1978年のほとんどを『アンドレアソン事件』の執筆に費やして忙しかったが、たまに手紙や電話をしてベティの経過を記録していた。

1978年の秋、マサチューセッツ州アシュバーナムに戻ってきたベティは、調査の後に起こった奇妙な出来事の数々を私に語ってくれた。

時々、彼女は奇妙なシンボルやスケッチを描きたくなる抑えきれない衝動に駆られた。

彼女はまた、自分の声のようなものが内側から聞こえてきたが、それは未知の言語だったので、聞こえた通りに書き留めようとした。

ベティはまたポルターガイスト現象も述べた。説明のつかないラップ現象、声、小さな浮遊する光の玉などである。

彼女の母親や娘たちもこうしたことをいくつか一緒に体験していた。

私はこれらの報告にはあまり注目していなかった。

正直なところ、私たちの活発な調査が彼女をむしばんだのではないかとさえ思った。

しかし、あまりに多くのことが起こっていたみたいで、彼女は1978年6月に私にこう書いてきた。

「時々、こんなことをあなたに書くのがイヤになります。まあ、ちゃんとした理由があります。」

将来のために、私はそれら奇妙な出来事をすべて記録し続けるように、しぶしぶ彼女に勧めた。

しかし、その時点では、私はそれらに取り組む時間も気持ちもなかった。

ベティは1978年8月21日にボブ・ルカと結婚した。

フロリダで新婚旅行をした後、コネチカット州で購入した家に戻った。

彼らが入居したのとほぼ同時に、古典的なポルターガイストの特徴をすべて備えた何か他の物が一緒に引っ越して来たようだった。

以下はベティの手紙から抜粋したいくつかの例である。

9月3日(日)午後11時:ボブと私がリビングのソファに座っていると、(約2m離れた)ドアベルが2回鳴った。

私はネグリジェを着ていたので、すぐに立ち上がって階段に向かった。

ボブは立ち上がって玄関に行き、いたずらかもしれない、と思って前庭を見回した。

ボブが戸口に立っていると、目の前にボタンがあるのにドアベルが再び鳴った!

ボブが調べたところ、ドアベルは押すと1つのトーンで鳴り、離すと低いトーンで鳴ることがわかった。

ボタンがくっつけられていた可能性はない。

ボブが配線をチェックすると、これがベルを鳴らす唯一のボタンであることがわかった。

私はボブと一緒にその出来事について詳しく調べた。

報告に間違いがなければ、それは説明のつかないことだった。

でも、それは二度と起こらなかった。

まるで何かがその存在を知らせるためにこの事件を利用したかのように、その後ますます多くの説明不能な現象が起こった。

1978年9月8日:ボブと私はドライブインに行った。

ボニーとシンディ(ベティの娘たち)は、2人の友人と一緒に家でモノポリー(というボードゲーム)をしていた。

棚の上のライトが点滅したので、子供たちは怖がった。

照明のコードの接続不良?

ソケットの不具合、電球の緩み、ごくローカルな停電?

しかし、そのあと事態はちょっと複雑になった。

それから今日、ボブは自宅で車の整備をしていた。

仕事を終えて、地下室のライトをパチッとつけて、地下室の階段を降りた。

ライトの下を通り過ぎると、ライトが消えた。

彼は階段を上って戻り、スイッチを入れたり切ったりした。

何も起こらなかった!

それから階段の下まで戻り、そこに立った。

ライトが点灯した!

彼は電球が緩んでいないか確認した。

そんなことはなかった。

同じ日の午後遅く、地下室の梁(はり)からラップ音が鳴り始めた。

夕方にはバスルームのキャビネットのルーバーが勝手に上下した。

1978年9月9日:ボブはリビングで男の話し声を聞いた。

彼はラジオだと思って止めに入った。

スイッチは切れていた。

そこには誰もいなかった。

10月になると、ベティが報告した現象はかなり複雑になっていた。

彼女とボブはとても不安になり、私に助けを求めてきた。

私はどう答えていいか分からなかった。

彼ら2人とも正常で健康な人であることは分かっていたし、UFO調査員ではなく超心理学者が必要だと感じていた。

1978年10月19日:夜の8時半頃だった。

私は寝室の隣のバスルームにいた。

ボブは6メートルほど離れたベッドのそばの床で靴下をはいていたところ、突然、部屋の上方でウィーンという音がした。

私はすぐに歯磨きをやめた。

ブラシを口にくわえたまま急いで振り返ると、ボブが私を見上げてバスルームのドアに向かって突進してくるのが見えた。

そこにたどり着く前に、急に彼の姿がドアのところに現れた。

私は彼が自分の姿に突進して、その中に入るのを見た!

奇妙な出来事は冬の間中続いた。

しかし、私は執筆に忙しかったので、ただ根気よく話を聞くしかなかった。

1979年の春、ついに『アンドレアソン事件』が出版された。

ベティとボブと私は、息をのむような全国プロモーションツアーに一緒に出かけた。

この間、ふたりは自分たちの身に起こっていた奇妙な出来事について個人的に話をした。

私は面と向かって彼らを厳しく追及したが、彼らがこれらのいくつかを追体験するのを見て、疑うのがとても難しいと感じた。