私たちが神を理解しようとする歴史的努力を、あなたは芸術作品と表現している。どういう意味か?
あなたたちは生きた記憶のつづれ織りを織っている。これが人間の肉体というもの、つまり、揺らめく素晴らしい織物、生きた衣服だ。それは、すべての希望、失敗、恐れ、時代の功績で満ちている。すべての細部がそこにある。ブッダやキリストや偉大な指導者の行為だけでなく、すべての道の、すべての足による、すべての歩みだ。何事も、ひと息ですら忘れられていない。この芸術作品には、すべての生命が完全に存在している。
ガス室はどうか? それらも作品の一部か?
高みへの救済は、闇が土台となる。それらの恐ろしい場所には、驚くべき復活の実例があった。ガスを浴びせられている間、生命体は強さを変えて生きていた。彼らは殺人の悪を、神の恵みに変えた。怒りと恐怖の気持ちで死んだ人たちも、勇気と思いやりの気持ちを持って死んだ。神は彼らの師だった。
でも、もしガス室がなかったなら、この高貴なこともなかったのか?
童心に到達した人が夏の夕暮れの流れる雲や穏やかな鐘の音から簡単に作り出すかもしれないものを、彼らは大変な努力をすることで、苦しみから作り出した。それも、ほんの少人数だ。多くの人たちは激しく苦しみ、錯乱状態で無駄死にした。苦しみよりも喜びを通しての方が、エクスタシーに到達しやすい。
ナチスはどうなったのか?
肉体に入り込むには、かなりの勇気が要る。なぜなら、あなたたちはエネルギー体に刻み付けられた一番の短所に、いつも自分を入れているからだ。罪は、私たちがエクスタシーに入る妨げになるものだ。実際、死んだ後に罪はどんな感じがするか? あなたは死んだ後、最初はこの上なく素晴らしい喜びを味わい始める。それは非常に親密で、非常に個人的なもので、増えるにつれて、ますます多くの人生を送り始める。あなたは食べ物を味わい、空気を嗅ぎ、キスを重ね、愛を重ね、ますます美しく、ますます心清らかになる。それから突然、あなたの手がガス缶を開ける。そして、あなたが起こしたすべての恐怖、つまり、残忍でゆがんだものにふける原始的な部族の風習によって、あなたは一掃される。あなたは殺した人たちの足元でひざまずきながら、不潔な病気になったように感じ、苦しみもだえて醜く感じる。彼らはあなたへの思いやりの心で輝いているが、その思いやりの心によってあなたは理解するので、あなたはひどく苦しむことになり、そして、エクスタシーから後退する。あなたは自分の周りの栄光を見られたり見るのが耐え難くなる。それは焼き焦がす炎のように見えるので、あなたは内向的になり、燃える太陽から身を守ろうとする人のように、身を隠す。でも、あなたは逃げることができない。あなたにとって、エクスタシーの炎は苦痛の炎なのだ。
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