私たちに宗教がないのであれば、その後、彼らはどうなったのか?
宗教の指導者が、宗教の運命を決める。指導するためには、政治的な権力が必要だ。このために、彼らは教義をでっち上げ、信念を強要しなければならない。「あなたたちは、これを信じなければならない」、と彼らが言ったとたんに、彼らの宗教は終わる。
仏教徒でさえも?
僧侶は呪われた。民衆は抵抗せず、餓死した。迫害だ。
キリスト教はどうなのか?
福音の中に入っている、とうわさされてきた完全版の中に混じっている。でも、キリスト教は非常に早い時期に政治制度となった。
キリストは本当に存在したのか?
福音は存在する。あなたたちは複製を入手して、両手で持つことができる。それ以上は知る必要はない。でも、注意しなさい。福音には、知恵と一緒に多くの政治的発言が含まれている。
どうやって違いを見分けられるか?
本当の福音には、思いやりがある。
思いやりとは何か?
他人が最も必要としているものを見つけ、それを与えることだ。しかし、あなたたちの世界には、思いやりがほとんどない。それどころか、あなたたちは非難のきまりに従って生きている。ひっぱたかれると、ひっぱたく。思いやりのある世界は、全く違うだろう。そのような世界では、どの人に出会っても、その人が最も必要としているものを見つけて与えることが、すべての人の義務であり、喜びだ。
とても理想的に聞こえる。
そうではない。理想的な世界は、裁いて罰する世界だ。神のみが罰することができる。なぜなら、神のみが魂の真実を知っているからだ。非難の文化は、神の御座に自身を掲げることなので、最終的には破滅する運命だ。
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