針の眼(という映画)を覚えている? 裕福な人が、もし世界を裕福にするために自分の財産を使えば、針の眼を通り抜けるかもしれない。自分の財産にしがみつく人たちは、死にかけた魂だ。
私は「財産とは何か?」と自問した。私の財産は、2つの分野にあると思う。執筆する能力と、偉大で並外れた存在たちと直接会った、という信じ難い幸運である。なかでも最も協力的だったのは、間違いなく鍵のマスターだ。だから、世界を豊かにするために私の財産を使うということは、このような本を世に出すことにある。しかしながら、私が引退したら、第三世界のどこか遠く離れたところに行って、孤児院を始める自分の姿を容易に想像できる。かつて第三世界の巨大な街を通り抜けている時、全員のストリート・チルドレンを見て、「彼ら1人1人が、私たちの国の子供たちと同じくらい大切で、もしかしたら、同じくらい立派かもしれない」、とひそかに考えた。しかし、彼らにそのような価値がない、というだけでなく、そこでは彼らは平等ではない、と私たちは決め込んでいないだろうか。
第一世界は、奴隷のオーナーだ。あなたたちは皆、奴隷のオーナーだ。あなたたちは、神の民、つまり貧しい自分の兄弟姉妹を奴隷にした。50億人が10億人の奴隷となっている現在の世界は残酷である、ということが分かるか? あなたたちのめいめいは、5人の奴隷のオーナーだ。しかし、あなたたちは決して奴隷を見ないので、彼らの健康や幸福を心配する必要がない。あなたたちは、彼らを貧乏と苦痛で動けなくして、援助せずに生活させている。あなたにこれを伝えよう。私の子供たちの一人がこの惑星に広がる奴隷の荒野で死ねば、私も死ぬし、あなたたちも、私の傲慢な友達も、あなたでさえも少しは死ぬ。
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