17-2
・それで突然、参考となる想像上の顔の絵を描くために、ボブや私のUFO遭遇の人生経験について書くのをやめて、彼の存在に精神的につながるための出発点に集中しました。
・ザ・ワンの顔はどうかと言うと、見ることのできる肉体的なイメージはありませんでした。
・私が彼の前に立つたびに、彼には目に見える姿がなく、ただ愛に満ちた非常に明るく輝く光と彼の声だけがありました。
・しかし、肉体的な絵を描くことで私の心はクリアになり、視覚を越えて、光の中の存在で光全体である不可視のザ・ワンを理解できるようになりました。
・それはまるであの生き物たちが私に何か非常に重要なことを示してくれたかのようでした。
・というのも、ご覧のように私が完成させた絵は完全なワンを取り入れていて、存在するすべてのものから成り立っているからです。
・ザ・ワン(もしくは、ほとんどの人が神と考えるザ・ワン)の肉体を絵で表現することは不可能であり、それをとらえることも不可能なので、本来は描くことにはなっていないということは理解していますが、描くことは私の理解に役立つ方法であったし、うまくいけば世界の人がザ・ワンが誰であるのか、そして同じように自分が誰であるのかを見て理解するのに役立つ方法でした。
・私が絵を描き続けると、まるでザ・ワンが私に、彼がどのように見えているのか、彼が誰であるのか、彼が何をしているのかなど、彼についてのすべてのことを理解し、おそらく見ることを望んでいるかのように感じました。
・私たちは、実際に私たちの前や内側や周りに存在するものを少しだけ眺めています。
・しかし、精神を使って私が彼の一体性を表現できそうな似顔絵をまとめようと鉛筆で姿を描いている時、私は永遠に存在する創造主がすべてのものを創造したことに気づきました。
・そして、時間の中で形あるすべての創造物は、存在と発達、または終了を続けます。
・創造主や創造主の言葉なしでは何も存在できません。
・始まりや終わりのあるすべての創造物が存在するかどうかは、存在に関わる善悪の原理によって決まります。
・人間の創造に関しては、創造主は土のちりで肉体を形づくり、それからその中に生気を吹き込み、そして、その肉体と生気は生きて呼吸をする魂や生きものとなりました。
・私たちの創造は創造主の生気の言葉から作られたものであり、私たちは創造主のイメージで作られたので、選択して創造する力と能力に恵まれていましたが、選択のために、私たちの肉体による認識が目の前の真の精神的な洞察よりもしばしば優先されてしまい、たまに人が罪深い判断をする原因となります。
・それぞれの魂が過去世で経験した善と悪をザ・ワンが正しく判断することに関して、おそらく良い場所である新しい持続的な目的地か、あるいは、非常につらいか苦しい目的地のどちらかが存在するでしょう。
・そして私は考えてみたのですが、もし人類の外観がザ・ワンのイメージで作られたのならば、それが何を意味するのか、そして私たちの外観がザ・ワンにとってどのようなものなのかをもっと理解するために、私はザ・ワンの絵を人として描き続けました。
・私たちの肉体、魂、精神は目に見えない世界の真実を探し求めていますが、人間の魂はしばしば存在するものを信じようとしません。
・人間の魂は肉体界での生活にとても忙しいので、私たちがザ・ワン、つまり偉大な創造主に属していて、その一部であるということを信じることができません。
・私が絵で示そうとしたように、創造主は、初めから言葉という強力な力で創造し、そしてその創造物は創造主とともにあったのですが、それでいてその創造物は創造主でした。
・創造主は創造するので、原子や素粒子のように小さくもなれますし、創造する余地をさらに増やすため、最初の段階で創造した何兆個もの星や宇宙のように大きくもなれます。
・創造主はすべてを監督しています。
・創造主は存在するすべてのものであり、存在しないすべてのものであり、これまで存在したすべてのものであり、これからも存在するすべてのものです。
・創造主は精神であり、私たちの想像をはるかに超えた偉大さと壮大さを持っています。
・というのも、創造主は命だからです。
・それでいて、創造主は死です。
・創造主は存在するもの、これから存在するもの、あるいはこれまでに存在したものすべてを創造し、形成してきましたし、何度も何度も多種多様な方法で自分をさらに再創造し続けています。
0コメント