では、光は私たちの友人ではない?
光は眠っている人の運命だ。目覚めた人は、自分自身の光を、神の歌(言葉)を永遠に歌う輝く合唱団の一部のようにする。
しかし、大昔の人はどうか? 彼らがここに残存していないのは確かだ。
あなたが他に残存する場所はない。あなたが死後に独立した存在でないならば、再生と向上のチャンスを待って、引き続き地球の生命に参加する。自然の生命は、魂を形成する電子のパターンを変化させ、スピンを強化する。偉大な死者は、光の体の進化と成長に専念し続けて生きている。しかし、あなたたちのほとんどは、死の状態では、人生のほんの断片しか覚えていない。単純なパターン、弱いスピン、光の体もはっきりせず、それを維持することもできない。あなたたちは再生の過程に強く支配されているので、光の体を除いて大昔からのものは誰もいない。
過去の人生にどのようにアクセスするのか?
誰もがすべてを記憶している可能性がある。あなたは、自分が何者かを理解していない。
そうすると、死自体はどうか? 私たちは何を期待したらいいのか?
死は顔と同じくらいユニークだ。あなたたちは期待しながら死んでいく。しかし、ほとんどの場合は存在し続ける。
魂を信じていない人は?
彼らは偉大な発見をする。
では、光の体になる者もいて、残存して再挑戦する者もいて、神の記憶に入る者もいる、ということか? 誰が神の記憶に入るのか?
全く将来性がなく、少しも成長しなかった人だ。しかし、彼らの経験はどこにも行かない、ということを思い出すように。生き残るほどの力がないので、自然の肉体と一緒に死ぬ。生き残るのは、わずかな本質だけだ。これは、生前の姿がほとんど識別できない火花だ。
本質とは何か?
好みだ。個々の存在の経験のやり方だ。本質とは基礎になるものだ。
では、悪い本質が神に戻って、神は泥だらけになる?
すべての人生は、実験のようなものだ。すべてが成功するわけではない。しかし、たいていは肉体が一貫して存続する程度には成功し、地球の記憶の領域にくっつく。その本質に一致する肉体が創造されると、抵抗できない磁力によって肉体に引き付けられる。この世界に誕生することは、もう一方の世界での死であり、逆もまた同様だ。再生は大きな呼吸のようなものだ。
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