私はサンアントニオに戻って、会話を記録することに取りかかった。すぐに、問題にぶつかった。これらのはかり知れないアイデア、そして、新しいアイデアは、思っていたよりも、さらにつかみ所のないものだった。ほとんど確実に頭の中にあるのだが、それらを紙に書こうとすると、それらは・・・えーっと。私たちが向かい合った時に感じた、新鮮さと確信で舞い上がる気持ちはどこへ行ったのか? あの興奮はどこへ行ったのか?
私は何日間も奮闘した。しかし、それはすべて、カトリックの教義とニューエイジの神秘主義を混ぜ合わせたようなもの、という結果になった。ああ、とてもはっきりと・・・ベストを尽くしても、はっきりとしない。
私はもう一度この男と会話する必要がある、と思い始めた。実際、彼に執筆作業に直接参加してもらうために、彼と知り合いになる必要があった。誰かの跡を見失うまでは、みつけるのはとても簡単に思える。しかし、この世界では、名前や住所、あるいは少なくとも地域がわからなければ、困るだろう。
当時、彼は私のよく知っている人に思えたので、それ以上に彼の身元を特定しようとはしなかった。どうして自分の祖父の名前を聞きたがったり、叔父の住所を聞きたがったりすることがあるだろうか? 彼といる時、私は彼の名前を言うことさえできたかもしれない。まるで、私が一生を通じて彼を知っているかのように思えた。
私を考えさせたこと。多分、私は彼を知っていたのだろう。もっとはっきり言えば、多分、私が子供の頃、彼はテキサスにいた。だから、サンアントニオで聞いて回ると面白いだろう。私のしたことは、人にこの出会いの話をしたことだ。私は、えり好みしなかった。興味を持ちそうな人に話しただけだ。それから、この人物を見たことがあるかを、きまって尋ねた。彼は、比較的細い男性で、65~80歳くらいで、白髪が混じり、シャープだが優しい顔だ、と説明した。彼に会ったことのある人なら誰しも、決して彼を忘れることはないだろう、と思った。
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