彼は悪について、これまでとはまったく違った見方をしている。それは、聖書のような見方や、現代の機械論的な見方でもなく、悪とは私たちが自分自身にもたらすもの、という恐ろしい見方ですらない。むしろ、彼は、それを回避できるものとは見なしていないし、理解や使用できるものとすら見なしていない。彼は、それをこのように説明する:
暗闇は神の思いやりであって、そのおかげで、私たちは宇宙を見ることができる。だから同じように、心の暗闇は、自分自身に向けられた自分自身の思いやりだ。というのも、悪に耐えなければ、善を見分けられないからだ。
この驚くべき発言は、悪に対する全く新しい取り組み方を提案していて、悪は私たちを罰するだけの、何か恐ろしい外力、というよりむしろ、ツールだと見なしている。the Key全体と同じで、個人の行動に対してだけでなく、全世界に対して、個人が責任を持つことを求めている。
マスターによる悪の定義は、極めてシンプルで新しい:
エントロピーとは、すべての物体が分解していく自然の傾向だ。悪は、そのプロセスに意図を加えることだ。
彼はまた、悪は人間の人生で不可欠なもので、「それがなければ、善を見分けられない」、とほのめかしている。
しかし、これはまた、見事な悪の自己弁護であり、マスターの暗黒面は無視できない。しかし、彼の会話は思いやりにあふれていたので、彼が本来どれほど邪悪な可能性があったのかは、わかりづらい。
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