私が見た2つの世界のうちの2番目のものは、1番目の世界と別の点で、私たちの世界とは違っていた。そこの生命体は、私たちと見た目が全然違った。しかし、私が見た人は、その人も私を見たのだが、私が読み取れる多くの顔つきをしていた。それは、思いやりに満ちた悲しそうな顔つきだった。彼らには、つらい歴史があった。しかし、彼らの世界は近ごろ、根本的に変化していた。彼らは、悲惨な環境危機、言ってみれば火災を乗り越えた。
もはや、彼らの文化は処罰と報復に基づいたものではなく、「他人が最も必要としているものを見つけ、それを与えること」という、思いやり、とマスターが定義したものに基づいていた。
彼らは、現在の私たちよりも、ほんの少しだけ先を行っていて、非難の文化が終わりを迎えるところで、暗闇のなかで、もっと良い何らかの方法を探していた。
私たちの世界が思いやりのある場所に変わることが、the Keyの根底に潜んでいる。全く新しい種類の社会を形づくる上で、どうやら思いやりは必要不可欠な要素らしい。しかし、今までの思いやりの定義(他人の悪意と過ちを、曖昧に受け入れるようなもの)がうまくいくかは、明らかではない。それどころか、マスターは、さらに厳格なタイプの思いやりを求めている。この思いやりは、少しも受け身ではない。それは、他人が最も必要とするものを積極的に探し求め、そして、与えるものだ。「1人1人が他の全員に対して、完全に責任がある」、と彼が提唱した個人の道徳律は、全く新しい社会秩序への素晴らしい展望となる。
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