第2章 パンドラの箱を開ける
1980年3月、私はコネチカット州のUFO研究センター(CUFOS)1の調査員リチャード・ナイツにアンドレアソン事件の第2段階調査の責任者となるように依頼した。
優秀な催眠術師を探した結果、フレッド・マックスが選ばれた。
フレッドはこの地域の医師と一緒に働き、行動心理学で学士号を持っていた。
彼にはUFOを体験したと主張する人たちに関する予備知識や経験はなかったが、有料のコンサルタントとして私たちに協力する気があった。
フレッドは親睦を兼ねた最初の会合を1980年3月17日に予定した。
彼は催眠術の被験者として適しているかどうかを確かめるために、最初にいくつかお決まりの検査を計画した。
リチャードがこの会合に参加できずに残念だった。なぜなら、その晩わかった現実離れした出来事は、不慣れで手助けを受けないフレッド・マックスにとっては火のような洗礼であったからだ。
この初めての会合は最初のアンドレアソン事件の最も奇妙な部分にすら匹敵するものだった。
そんな事情があるにもかかわらず、フレッドはとても上手くやった。
フレッドと妻のベリルはとても思いやりがあり、話し方も穏やかだった。
フレッドは笑顔に愛嬌があり、優しくもしっかりした声をしているので、一緒にいると人はすぐにアットホームな気持ちになる。
彼らは自分たちの自宅の落ち着けるところで会合を行うことにこだわった。
彼らはベティとボブを温かく迎え入れて、お互いを知るために座って雑談をした。
いくらか話し合ったが、ベティはまだ少し不安そうだった。というのも、彼女自身が初めて退行催眠を受け始めた時、人によっては重い情緒障害を引き起こすような記憶のあることが発覚したからだ。
フレッドは自発的な被験者を望んでいたので、最初の数回はボブに催眠術をかけることになった。
ボブは被験者としてすぐれていることが分かった。
フレッドは彼を簡単に深い深いリラックス状態へと導くことができた。
ボブは(たいていの被験者たちがそうであるように)自分が本当に催眠術にかかったのか疑っていた。
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