そのように否定することは、人間の心の習慣であり、今も常に私たちの中に深く染み込んでいる。私は幽霊みたいなものを数多く経験したのだが、私自身は魂について常に疑念を抱いていた。そのエネルギーは、どこで得られるのか? 一体どんな物質が、魂を有することができるのか?

この理由から、私がビジターと面と向かって座っていた時、彼の魂に関する説明に、当初は反感を覚えていた。というのも、私には1986年に起こった異常な体外離脱体験などのたくさんの証拠があるのだが、肉体の死後に何かが存続する理由がどうしても理解できなかったからだ。

しかし、彼は全く予想外のアプローチをとった。最初に彼は、私たちは「魂に盲目」だ、という表現を使った。それは以前聞いたことがあり、異論はなかった。しかし、見えないから、あるいは人間がひどく不十分だからと言って、私たちは魂に盲目ということになるのか?

彼が魂は単に自然の一部だ、と言った時、私はラジオのような物も常に自然の一部だが、長い間考え出されることすらなく、まして検出などできなかった、ということを考えていた。そして彼は、基本的には魂も単に検出の問題だ、と言っていた。これは、「意識のエネルギー」は基本的には自然界の電磁気だ、と彼が主張したことと一致する。

しかし、それはどのように機能するのか? そのような場はプラズマか? もしそうなら、それらを結び付けるのは何か? 魂はどんな物理特性か?

90年代半ば、私たちはテキサス州のサンアントニオに住んでいて、ある友人宅に招かれた。その人は、ゴーストハンターや超心理学の分野で「オーブ」と呼ばれるものの写真をたくさん撮っていた。彼が自分の家の中や外でランダムに撮った写真に写った大きな塊は、結露やほこり、またはそのようなものが、カメラのレンズに非常に近くにあったために違いない、と私は思った。しかし、家に行って、違う角度から2台の異なるカメラで正確に同じ場所の写真を撮ってみると、その物体は両方の写真に写っていた。カメラの近くの小さなゴミではなく、3,4フィート離れたもっと大きなもので、非常に得体の知れないものだった、ということだ。

その後、私は裏庭に出て、間違いなくはっきりとした存在を感じた。それは、ずっと前に亡くなった母であった。まるで、彼女がそこにいるかのようだった。触れることもできた。私はそこに立って、目を閉じ、彼女とコミュニケーションをした。その時、グループのメンバーが知らない間に私の写真を撮っていた。

その写真には、私の上方で多分10フィート前に、輝くオーブがあった。それは大きくはなく、むしろ一種の火花に近かった。しかし、どうしてそこに発生するのか? それは死後も魂が存続することを示唆しているのか? 私の母親がそこにいるように思えたのは確かだ。

UFO接近遭遇-未訳本の紹介

UFO関連で日本語訳のない洋書を紹介しています。 あらすじを参考に原書の確認をおすすめします。 私は本の内容を見抜く目を持っていません。 ご自身でご判断いただければ幸いです。 https://www.instagram.com/daisuke_ufo/ https://twitter.com/UFO_Tom

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