鍵のマスターが再び現れなかったので、私は失望したが、今でも彼の考えを大いに尊重している。そして、私自身の道徳を彼の考えに照らし合わせて修正しようとしたし、こうすることは、とてつもなく自由で満足のいく試みであった。
私は、「罪とは繁栄する権利を否定すること」という発言が、ずっと気になっている。私は、これ以上に濃縮された説得力のある罪の定義や、もっと明快な定義について知らない。この定義を用いると、自分と他人の両方の人生における道徳の考え方を、わかりやすく理解できる。私はいつも知らないうちに、その見方に基づいて、自分の行動を考えているし、自分の行動の価値と有効性、あるいは、不適当かもしれないことを、よりはっきりと理解していることに気付いている。十戒は素晴らしい文書で、良心の中の思いやりの心は、生まれつきの善悪の判断力しかなくても育まれるかもしれないが、これらの8つの単語(罪とは繁栄する権利を否定すること)が、見事なまでに全体の過程をはっきりさせ、多面的に示している。
長い時間がかかったが、自分の人生経験とマスターの言葉を踏まえて、私は意識を持ったエネルギーのようなものがあり得ること、そして、もしそれが本当なら、それはこの宇宙において事実上の心の中心に違いないことを理解するようになった。
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