私は新約聖書と偉大な神学者たちの本、そして、英訳された多くの仏教資料とコーランを読んで、彼の言っている意味がすぐに分かった。
この結果、私の教義に対する不安は次第に無くなった。神学に関する細かいことに興味がなくなり、私の視野は計り知れないほど広がった。私は完全に新しい考え方で、人間の生命には神聖なものがあることを理解するようになった。つまり、それはバランスのとれた降伏状態につながる深遠な真のプロセスだ。
すべての信念を捨てること、そして、キリストが「野のユリのように」なりなさいと言って、父の心地よい無垢を探し求めたように努めること、そして、ムエジン(イスラム教の拝礼の時刻を知らせる人)が一日にわたって魂の旅を呼びかけるように神の意志に降伏することは、出来ることだ。そうすれば、私たちはこの資料を活用して、仏教の実践で明かされる素晴らしい寂静に身を投じることになる。
彼は、神に向かう旅について、そして、それが暗示する幸せな降伏について語り、私たちに伝えた。手短に言えば、魂の新たな道でもあり、(会話の間ずっと優しく雄弁に嘆きながら遠回し言った)魂の失われた科学に通じる要所でもある果樹園の分かれ道を歩むためには、三つの宗教の本当の考え方が非常に素晴らしく大変効果的な手段である、と彼は見なして立ち去った。
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