その後、彼と私は半時間ほど一緒に過ごした、と言っていいだろう。しかし、いったん会話を転写したら、もっと長い時間であったことが明らかになった。少なくとも2時間は、一緒にいたに違いない。
この男の言わなければならなかったことが、全く目新しく濃い内容だったので、彼が実在していたのか否かに関して、証明できない主張をする必要はない、と思う。
話し合いの最中に、神に関する新しいイメージが浮かび出た。まるで、私の聞いた言葉の力によって、神が私たちのいる部屋に姿を現したかのようだった。対話を読むと、これと同じ感じがする。つまり、まるでこれらの言葉の中に、誰かが生きているみたいだ。
私は、ビジターは人間ではないと思う、と言っているのではない。彼は、確かに人間に見えた。おそらく、彼が言ったように、ある時点では税金を払わず運転免許証を持たないカナダ人であったかもしれない。彼は、私が今まで出会った中で、間違いなく最高の知性を備えていた、ということはよく分かっている。彼はまた、私が今まで知っている中で、重ねて間違いなく最も感情の生き生きした人だった。彼は強烈に生き生きとしていたが、私たちの考える死について、生命と同じくらい苦もなく精通しているようだった。
信じられないくらい感動的な時間があった。特に、一緒に過ごした時間の中の、最後のわずかな瞬間だった。それは、これまでの私の人生で、最も影響力のある経験の1つである。
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