2000年11月19日の朝、私はミサにいた。その時、書き物の1つを読んで、私は心の底から寒気を覚えた。驚きを通り越して、息をのんだ、と言ってもいい。私は、体が寒くなった。つまり、ある意味で、それらにゾッとした。
私はミサ典書を落とし、前をじっと見て、参加者の1人もいないところで、進行中のミサを聞くのがやっとだった。
私が読んだのは、この時代に関する直接的な預言だったようで、鍵のマスターに関することだった。しかし、私はそのようなことに、どうやって関わることができるだろうか? それは常軌を逸していた。私は、これをする資格がない。よくても私は二流の作家で、文学のページでは、コンマほどもない。それなのに、ここにはこの予言があって、それはマスターに関するものと、中でも、彼の警告とメッセージの核心に関するもののようだった。
あの夜、彼は、自分自身を「ミカエル」と呼んだ。彼は、恐ろしい未来を予言し、しっかりした科学に基づく警告の本を書けるくらいたくさんのことを、私に教えてくれた。そしてここに、ダニエルの本の中に、全く同じ警告の別のバージョンがあった。
しかし、もっと重要なことに、ここには、彼がはっきりと雄弁に語った光の存在のことが書いてあった。この輝きを得ることが、人生の目的であることは、非常にはっきりとしている。それは、ダニエルの時代に当てはまったことだが、おそらく、現在でも同じように当てはまるようだ。
私が読んで、恐れおののいた詩が、これだ。
その時、そなたの国の人々を守る偉大な君主、ミカエルが立ちあがる。また、国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの困難の時が来るだろう。そして、その時、そなたの国の人々で、その書に名前を書かれている者はすべて、救われるだろう。
また、地のちりの中で眠っている者のうち、多くの者が、目を覚ますだろう。永遠の命にいたる者もあれば、恥と永遠の侮辱をうける者もあるだろう。
そして、賢明な者は、天空の輝きのように輝き、多くの人を正義に変える者は、星のように永遠に輝くだろう。
ダニエル書12章:1-3
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