私たちはまた、プロの催眠術師と精神科で訓練を受けた医師を雇った。
12ヶ月にわたる調査の間、私たちは広範囲にわたる身辺調査、2回のうそ発見器テスト、精神科医との面談、14回におよぶ退行催眠の会合を行った。
催眠状態でベティと彼女の娘は矛盾のない詳細なUFO体験を思い出し、生理的な反応も本物だった。
全3巻528ページの報告書は、目撃者は信頼できるまともな人物であり、本当にその体験が起こったと心から信じていると結論づけた。
1977年の秋、ベティと2人の娘と彼女の母親はマサチューセッツ州からフロリダ州に移住した。
そして、私たちの調査の第1段階は実質的に行き詰った。
私は1978年のほとんどを『アンドレアソン事件』の執筆に費やして忙しかったが、たまに手紙や電話をしてベティの経過を記録していた。
1978年の秋、マサチューセッツ州アシュバーナムに戻ってきたベティは、調査の後に起こった奇妙な出来事の数々を私に語ってくれた。
時々、彼女は奇妙なシンボルやスケッチを描きたくなる抑えきれない衝動に駆られた。
彼女はまた、自分の声のようなものが内側から聞こえてきたが、それは未知の言語だったので、聞こえた通りに書き留めようとした。
ベティはまたポルターガイスト現象も述べた。説明のつかないラップ現象、声、小さな浮遊する光の玉などである。
彼女の母親や娘たちもこうしたことをいくつか一緒に体験していた。
私はこれらの報告にはあまり注目していなかった。
正直なところ、私たちの活発な調査が彼女をむしばんだのではないかとさえ思った。
しかし、あまりに多くのことが起こっていたみたいで、彼女は1978年6月に私にこう書いてきた。
「時々、こんなことをあなたに書くのがイヤになります。まあ、ちゃんとした理由があります。」
将来のために、私はそれら奇妙な出来事をすべて記録し続けるように、しぶしぶ彼女に勧めた。
しかし、その時点では、私はそれらに取り組む時間も気持ちもなかった。
ベティは1978年8月21日にボブ・ルカと結婚した。
フロリダで新婚旅行をした後、コネチカット州で購入した家に戻った。
彼らが入居したのとほぼ同時に、古典的なポルターガイストの特徴をすべて備えた何か他の物が一緒に引っ越して来たようだった。
以下はベティの手紙から抜粋したいくつかの例である。
9月3日(日)午後11時:ボブと私がリビングのソファに座っていると、(約2m離れた)ドアベルが2回鳴った。
私はネグリジェを着ていたので、すぐに立ち上がって階段に向かった。
ボブは立ち上がって玄関に行き、いたずらかもしれない、と思って前庭を見回した。
ボブが戸口に立っていると、目の前にボタンがあるのにドアベルが再び鳴った!
ボブが調べたところ、ドアベルは押すと1つのトーンで鳴り、離すと低いトーンで鳴ることがわかった。
ボタンがくっつけられていた可能性はない。
ボブが配線をチェックすると、これがベルを鳴らす唯一のボタンであることがわかった。
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